節目の年にするために

「我以外皆我師」 

吉川英治さんがこの言葉を好んで使っていたと三浦綾子さん本の中にみつけました。三浦綾子さんの小説を読み漁ってたのは学生の頃。くたびれたこの本も数十年前に読んでいたものですが、新鮮でした。「すべての人は、自分の師です」ということ。そんな謙虚な気持ちって、いつのまにか忘れてしまってますね。

年が変わり、年男だとか、何十周年だとか、そういう言葉にもどこか冷めた感覚になってました。学生の頃は、毎年4月になると学年が一つ増え、クラス替えやら学校が変わる。解りやすく環境が変わるから、それを機に何かが芽生えて、そのタイミングで、振り返りやら、何かを始めたり、覚悟を決める。季節が、そういう節目としての役割をしてたと思います。社会人になると、解りやすく環境が変化することが、学生ほどはない。数年かけてやってるプロジェクトだと、毎年が節目だなんて言われても、なかなかピンと来なかったりするし。節目は自分が決めるもので、他人からとやかく言われるものでもない。そんな頑固じじぃ的な発想もあったり。なので正月が来たから何? 節目と言われてもねと。

年が暮れ、2026年が始まってます。お雑煮たべて、おせち食べて、初詣に行く。恒例だからという何となくの感覚は、「我以外皆我師」という言葉が心の中で膨らみ、もったいないという感情に変わりました。昨年の暮れに体調を崩し、いろんな人に迷惑かけたことも大きいかなと思います。いろんなこと考えましたから。

なんとなくの恒例行事を、自分の節目としてみるのも悪くないかなと。殆どの皆さん、そういう風に正月を使ってるんだろうね。一年に一度家族が集まる。それだけでも充分幸せなんだよね。自分にはその感覚が薄かっただけで。

日本には、豊かな四季があって、その時節にまつわる行事がある。そういうコトを大切にするってこと、今まで軽んじてた自分が、ほんと、もったいなかった。
2026年は、年男でも、何十周年の記念があるわけではないんです。でも、当たり前のように帰る場所があることや、当たり前のように暮らせていることを、この季節の節目を利用して、いろんなことに感謝出来るようになるかもしれない。そう自然になれると良いなと。そうなれた自分が撮る写真を自分でも見てみたい。

生きているだけで幸せって感覚になるには、未だ修行が足らないけれど、健康で健やかにって意味は、解った気がしてます。

2026年
豊かな気持ちになれる良い年に出来ますように。
これまでお世話になった師の皆さんに、恩返しできるよう頑張ってみようかなと思います。
皆さんにとっても良い年でありますように!!

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