細見雄大展《かたちづくる》

ギャラリー白

友人の細見さん初の個展でした。
食べ物、建物、普段見慣れた、幾重にも重なり、揃うことで形になるものを撮り溜めた作品。

細見さんのコメントはこうです。

≪かたちづくる≫
この作品は、並べられていたり、積み重ねられていたりする事柄や、それらに誘導する事物を写真にしています。これらを無意識レベルで受け入れ、また、実行できている事に興味が向いたからです。生産性や効率化。 画一性や規格・標準化。秩序、常識、しつけ・・・
私達は何をかたちづくろうとしているのでしょうか。
ゆっくりと考えてみたいのかもしれません。


僕は、ずっと写真ってなんだろう?って考え続けてます。 

写真を撮りづづけていて、ひとつ自分なりに腑に落ちたことは、「ずっと思考し答えが出そうで出ない状態に、自分を置く」 それが、作品作りのベースじゃないかと。

おそらく細見さんも、考えて考えて、作品化をされたと思ってます。その思考に寄り添えれば作品を深読み出来て面白いんじゃないかと思いながら、作品を観させてもらいました。

細見さんのコメントにある「画一性や規格・標準化。秩序、常識、しつけ・・・」僕は、このコメントを読み、違和感を感じてしまった。画一的なことや標準化された価値観に対して、それは違うぞって視点で撮られたと勝手に解釈してました。僕は、そういう安定し没個性化した思考や行いには、同意することが少ないので、そう思ってしまったんだと思います。

でも、細見さんは、もしかしたら、画一的なことを肯定的に、この作品で啓示しているのかもしれないと。作品は全て同じサイズに揃えられ、機械的に高さをあわせ並べられた展示構成も、そんな意図があったのかなとギャラリーを後にしながら、ふと浮かんできました。そうだとすると、この展示構成は、正解かもしれないと。

作品を観ている時に、僕なら、どう表現するだろうかと考えて見る癖があります。この細見さんのテーマ。僕は画一的なモノや考えを否定的に見る傾向があるので、風刺的に作品は大きさもランダムにして、物干し竿(ひも)に、印画紙を吊るすイメージにしちゃうかなと。

僕の独断的な勘違いは置いといて、細見さんがどんな思考で、この作品を作り、どんな方向に向かっていくのか、長い時間かけて、追いかけてみたいなと。

そんな気分になった個展でした。

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