荻須高徳展 私のパリ、パリの私

美術館「えき」KYOTO
 
好きですこの画風。

佐伯祐三(1898-1928)さんがパリで亡くなったのは30才の1928年。荻須高徳(1901-1986)は、その時27才。パリで接点があった二人。絵からもその影響を感じます。佐伯祐三さんを知る流れで荻須さんの事を知ったけれど、稲沢市荻須記念美術館へも、未だに行けてないので荻須さんの絵を、一気にこれだけの数見るのは、多分初めて。

展示は、年代順に回顧する形式。


1930年頃までは、筆使いが、佐伯さんそっくり。構図もよく似てます。「ポスターの壁」と題された絵は、佐伯さんが得意とした題材そのもの。ただ、佐伯さんはもっともっとダイナミックに崩すだろうなと思った。歳を重ねるにつれ、その画風は普通というかまともな線になってくる。それはそれで良いんだけれど、佐伯好きからするとちょっと複雑。荻須さんの絵は若い頃の画風が好きですね。それに初期の頃の作品は、とても光って見えるんです。絵の具の材質によるものなのか?とても綺麗。重厚感とは違う輝きが良いです。写真でこういう表現をしてみたいとずっと試行錯誤してはいるけれど、未だ実現できず。


それにしても、パリの街は、画家にとって魅力的に映るんですね。佐伯さんもパリから日本に戻り描くものが見あたらず、再びパリへ戻ってましたからね。僕は、初めてパリへ行った時に、空の色が日本とは違うことに驚いて空ばかり撮ってました・・。もう一つ興味深いのは、エッフェル塔が出来たのが1889年、荻須さんも佐伯さんもエッフェル塔を主題として、描いてないんですね(多分)。写真家の植田正治さんも、パリへ行った際、エッフェル塔の写真を一枚も撮ってないと聞きました。この当たりが凡人とは違うんでしょうか。


展示の最後に、パリ風景のデッサンがあったんですが、1979年に新聞に掲載された画文集47章の挿絵の一部。その画文章、47章の文、挿絵が全て、この展覧会の画集に掲載されてました。荻須さんの価値観がとてもよく解る読みごたえのある内容で、展覧会を見終わってからも楽しめてお勧めです。



荻須さんは84歳まで生きて、作品を残されました。佐伯さんは30歳。佐伯さんが同じ歳まで生きていれば、どんな作品を残されたんだろう?画風は変わったんだろうか?と、そんな事を見終わったあと、考えてました。

僕は、荻須さんに佐伯さんの影を見てるのかもしれないですね。佐伯さんが亡くなった頃から、荻須さんは署名を「OGUISS」に変えたらしいです。これも何かあるのかと思ってしまいました。

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