じゃない写真 渡部さとる著

 本屋巡りが好きで地元の大阪はもちろん出張先でも本屋へ立ち寄ります。本屋はインスピレーションの宝庫。表紙や背表紙をずっと眺めてるだけで、楽しい。雑誌コーナーではおおよそのトレンドが分かるし。毎日大量に出版される本を、どう陳列し他書店との差別化を図るのか?その苦労を想像したり。そういえばこれ調べようと思ってたんだと思い出したり。点が線として繋がる感覚になることが多いんです。だから用事もないのに本屋へ行きます。最近は、本に使われている写真に興味が湧きます。表紙もそうだし書籍に使われる挿絵的な写真も気になります。
さてそんな本屋さん巡りで見つけた「じゃない写真」 著者の渡部さとるさんをなぜだか知ってる気がしました。気がしただけで確信はありません。最近、読み返していた本の作者が渡部さとるさんだったことを発見して嬉しかったです。お会いしたこともないし顔も知らないけれど、この本は面白いに違いないと瞬間的に確信しました。自宅には「旅するカメラ1」「旅するカメラ2」「旅するカメラ3」があります。軽いタッチのカメラ好きのおじさんのエッセイ集ですね。文体や内容に親近感が湧いて、よく読み返してます。全4巻、最後の4がなかなか手に入らない。いずれどこかの本屋で偶然発見できるんじゃないかと、そんな期待をしてます。
 今回読んだ「じゃない写真」も、「旅するカメラ」とはタッチが違ったけれど、とても読み応えがあって内容も新鮮でした。
 写真そのものに社会的な意義を問うドキュメンタリー写真。コンテキストとして語られることで存在を強固にする写真。説明されることで方向性が見えそのベクトル上の写真が意味を持ち一人歩きするものが名作として残る。そんなに風にこれまでの写真を見てました。当然その流れは今もあります。最近のトレンドは「わからないこと」そう筆者は言ってます。書かれてることは同感できることばかり。写真の学校でも、この写真を撮った動機、その意味を語ることを求められます。instagramに代表される消費型の作品が重宝されているのはその流れからすると真逆で。わからない部類なんだろうと思います。
 現代美術館の意味を語る節があります。
スペインの女性の話。とある写真を美術館に展示をすることを考えていると。ネットや雑誌ではなく美術館。「お母さんは雑誌も読まない、ネットもしない、でも美術館へは行くわ。」と。文化の違いを感じるコメントではあるけれど、写真を見て知って欲しい。そこで見たものを語る人が増えることで世界が変わることを望んでいると。
 深いなぁと。
 写真を撮る意味を考えることがあります。たまにではなく毎日かもしれないです。作品作りをする上で、必要とする人がいないと成り立たない世界にいます。仕事とはそういうモノ。では仕事として捉えていない写真は、どうなんだろか?
なぜその仕事をしているんですか? なぜその写真を撮っているんですか? 自分でもわからずシャッターを押すことがあります。人それぞれの価値観があります。メジャーなカメラを作っている日本。そのカメラから映し出される写真文化は世界で通用するものなのか?
そんな多様な価値観を知る絶好の書籍だと思いました。写真に関わる全ての人におすすめです。

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