我我ワレワレ 

友人の中国人留学生である、汤泽洋さんの初個展。

中国人留学生の生活を知って欲しいと取材を重ねた記録写真です。

写真は、中国人留学生のポートレートと、居住空間を上から俯瞰した二本立て。撮影途中を知る者として、とても感慨深い。写真のグレードが上がる過程も然り、個展としてどう見せるか?表現の試行錯誤も知っているので、妙に感情移入して自分の個展のようにドキドキしながら見てた気がします。とはいえ動画ではなく静止画でそれを実現した試みは、特筆すべきだと思います。

個展会場で、写真を眺めて感じるのは、覗き見感。

ふと弁当箱が浮かんでしまった。 他人の弁当って、まじまじと観れないんです。観たいけど見れない。というか、まじまじと見てはいけない気がして。そこにはプライバシーが、存在しているような気がして、僕は見れない。なんだかそれと同じ感覚を持ってしまった。

人が、生きていく上で必要な、衣食住。

なかなかそのありのままを知ることって出来ていないことに気づきました。
この個展、見ちゃいけないものを堂々と見れる、この不思議な感じを味わえて単純に面白かったし、皆に、お奨めしたい個展でもありました。
中国人留学生の実態って、日本人と変わらないし、それを僕達日本人は、もっと知るべきだなとも。

この個展、観るポイントによって評価は二分する気もします。
作品の本質ではない、作品としての展示方法。額装や、パネル貼り、プリントを直貼りすることに対する価値観。僕は額装することで作品のグレードが上がることも実体験として経験しているので、額装前提で展示を構成する派です。

ただ写真や表現する内容によっては、プリントをテープで貼るとか釘で固定するという手法。多分邪道だと言われる展示方法も、僕は肯定的に見てます。限られたコストの範囲で、最大のパフォーマンスを発揮できるようにすればいい。その範囲で納得出来なければ、コストが調達できるまで、やらないという選択肢もあるだろうとは思います。
でも、それは作家が決めれば良いことで、僕がとやかく言うことでもないかなと。作品をみて感じることと、作家がどう伝えたいか?が完全にイコールにはならない。むしろ、余白を作り出して鑑賞者の気づきを促すことの方が重要ではないのかなと。
SNS的に消費される写真と、そうではない写真の境界って、どこにあるのか?これも主観や客観論が入り混じり、誰もが納得する定義なんてないんだと思ってます。
名作と言われる作品でも、観る人によっては浪費につながってることもあり得るわけですから。

まぁそんなことよりも、作品を観て、感じることを大事にしたいなと思いました。
汤泽洋さんの初個展、いろんな意味で感慨深ったし、良かったです。

ほんと個展、お疲れ様でした。

ぜひ、日本中の人に見て欲しいと思いました。

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