言葉にできるは武器になる

ずっと積読状態だった本です。読み初めて、なぜ早く読まなかったんだろうって悔やむほど、共感の嵐。言葉、文章を編む手法ではなく、もっともっと本質的なことが書かれてます。
「言葉は意見を伝えるための道具。」
「ならば意見を育てることが重要ではないか。」

何を伝えたいのか?それを「内なる言葉」というキーワードを使い、自分の中で伝えたいこと「内なる言葉」を膨らませて、磨き上げる。そうすると、少々言葉が少なくても、文章が荒くても、伝わりやすい。そんな考え方がベースです。

言葉そのもので、人間性を評価されるという、背景にも言及されてます。伝えられた側への伝わり方は、不理解・誤解・共感・共鳴のどれかに当てはまる。不理解、誤解を招く場合は、言葉の使い方への課題ではなく、その人の理解力、整理力、思慮の浅さを図ってしまうと。「相手の言葉に宿る重さや軽さ、深さを通じて、その人の人間性そのものを無意識の内に評価している。」
また人を動かすことは不可能であると胸に刻み、人が動きたくなるような空気を作る。
「大切なのは、自分の考えや思いを把握していることである。その内容を伝えるためには、難しい言葉も、耳障りの良い言葉も、美しい言葉もいらない。人の心を動かすのは、話している本人の本気度や使命感であり、生きる上で感じてきた気持ちが総動員された、体温のある言葉なのだ。」

その内なる言葉を、いかに磨き上げるかという部分は、写真家の仕事と同じです。「言葉」を「写真」に置き換えて読むと、合点がいくことばかり。面白いです。

比較の文章として、こんな一節がありました。

「素材のよさを活かすために、料理人は存在している。そのため、素材がよければ味付けは必要最低限でいい。むしろ、よい素材を見極める目利きの力こそが、料理人の真髄である。」

「私は料理人として最高のスキルとテクニックを持っている。そのため、どんなに素材が悪かろうが、顧客が満足して帰る料理を出すことが出来る。プロの料理人としては当然のことだ」

どちらの料理人のお店に行きたいでしょうか? 僕は前者。素材が怪しいものは食べたくない。言葉も同じですね。

写真家は、埋もれていたり見過ごされている素材の本質を表に出す仕事でもあります。表面的な部分だけを写し撮り消費されてしまう写真が氾濫している今の時代にこそ、写真家の仕事の価値があると思います。
この本は、写真を生業にされる方に是非とも読んで欲しいなと思いました。

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